永和システムマネジメントを辞めました

題意通りですが、永和システムマネジメント(以下 ESM)を 2020/01 の末日をもって辞めました。 新卒入社からずっとで 13 年と 10 ヶ月の勤続となります。

私が就活をしていた 2005 年は、ちまたで LAMP が流行りだした頃でしたが、当時は Ruby で仕事できる職場などはありませんでした。 そこで、当時は Linux に関われる会社を探していたときに、地元の企業で Linuxディバイスドライバ開発の仕事がある会社を発見しました。 それが、ESM との出会いでした。なので、実はアジャイルソフトウェア開発とか XP という文脈はまったく触れずに入社を決めていました。 そういうのに強い会社というのは、内定もらった後の WEB+DB かソフトウェアデザインの記事で知りました。

私のお仕事としてのキャリアは Linuxディバイスドライバ開発プロジェクトからスタートします。 丁度入社したぐらいの年から、会社の別の部署が Ruby を仕事で使うための活動をしていることを知ります。 そのうち、Ruby のコミュニティや LL のイベントに顔をだすようになったりすることもあり、 その部署のメンバーと関わりも増え、入社から数年経つとそちらの部署への転属が決まり 2009 年ごろから Ruby でお仕事をするキャリアが始まりました。

ここ最近の仕事でやっていることについては、昨年の RailsDM で話したように新しく入ったメンバーの様子をみることだったり、採用活動だったり、自社で運用を行っているプロジェクトのカスタマーサポートのようなことをやったりということを主に行っていました。

そうした活動をする中で、ありきたりですが自分のできることをやっているが、それが本当にやりたいことなのかという疑問を持つようになりました。 人の育成やプロジェクトやメンバーのマネジメントのような経験は、あまり経験できることではないので自分からその役をやることにしました。 ですが、このまま私がやり続けることで他にいい影響がでるのかという悩みだったり、運用を行っているプロジェクトでがっつり設計やコードを書いたり、障害サポートをするようなことにわくわくしている自分がいるということに気づき、次のステップを考えるようになり退職となりました。

さて、ESM での活動をふりかえるとコミュニティに支えられてきたといっても過言でないと思います。 Asakusa.rb での活動や、Rails 勉強会での活動などの活動によって、出会ったひとたちとの繋がりから一緒に仕事をさせていただくことになった方も多数おります。また、一緒にお仕事をさせていただいた方と、プロジェクトが終わった後にコミュニティで出会うということもありました。 そのような場で出会ったひとたちから色々学ばせていただいたり、助けていただいたりしていただいただきました。本当にありがとうございました。 また、会社の人ともコミュニティで繋がっているということもあるため、辞めはするがすぐ会えるしなぁという感傷的になることもあまりないというのもあります。

今後については、今月はゆっくり過ごす予定です。会社というラベルに守ってもらっていた状態から、ラベルが剥がれた状態でやっていけるか不安ではありますが、なんとかやっていけたらとおもっています。 もし、話し相手になってやるというかたがいましたら、ランチ等にお声がけいただけると幸いです。

最後になりますが、謎のリンクを貼って終わりとします。 今後ともよろしくお願いします。

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(この記事は HHKB Professional HYBRID Type-S で書かれました)